概要 運河に架かる橋によって陸路でつながっている島。 日本人に帰化した明治時代の文学者、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの生誕地としても知られ、港の公園には胸像が立っている。 彼が没した地である東京都新宿区とは友好都市となっている。 ラフカディオの名はレフカダ島の名前から付けられたとされる。 レフカダの町を起点に観光スポットが島内に点在する。 人気のリゾート地ニドリや、西部海岸のゴールデンビーチ、南部のリゾート地ヴァシリキ、漁村アギオスニキタスなど、各所で海水浴も楽しめる。kbt 小泉八雲 (1850-1904年) 本名をパトリック・ラフカディオ・ハーン。英国軍医だったアイルランド人とギリシャ人の母を持つギリシャ系英国人だった。当時、英国領であったレフカダで2人は出会い、八雲は誕生。生誕地にちなみ、ラフカディオというミドルネームを持っている。 八雲の少年時代に両親は離婚し、彼は英仏で教育を受け、アメリカで新聞記者として活躍後、1890年に来日。 日本文化を体感したラフカディオ・ハーンは、日本に魅せられて来日しそのまま永住してしまった。 西洋文明を積極的に吸収して近代化の路をひたすら進んだ当時の日本で英語教師として活躍することとなる。 最初の赴任地、松江で出会った小泉セツと結婚し、1896年には日本人に帰化し、「小泉八雲」となる。同年より東京帝国大学の英文学講師となって、日本の英語教育の最先端で尽力するとともに、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く残していった。『怪談』 の中にある「耳なし芳一」や「むじな」などはよく知られている。 東京帝国大学の彼の後任となつたのが実は英文学講師が夏目漱石であった。 八雲の日本での活躍はレフカダでも伝説となっており、彼の生家の前は「コイズミヤクモ通り」の名がついている。 八雲終焉の地東京新宿区とレフカダとは友好都市関係にあり、新大久保の公園にはギリシャから贈られた胸像と古代ギリシャを想起させる柱が立っている。同じくレフカダの公園にも彼の胸像がある。 |