カレー Calais
概要
ドーヴァー海峡に臨む港町。
対岸の英国の町ドーヴァーまで約40km。
ユーロスターの開通でパリ~ロンドンの旅行客の利用は減ったものの、両国を結ぶ連絡船は今も健在。
高速のホーヴァークラフトはドーヴァーまで所要約30分。
港の近くには大型のスーパーマーケットがあり、酒やたばこをはじめ生活必需品を買い求める英国人でにぎわっている。フェリーで英国より税金の安いフランスに買い出しに来ている。Qkbt
アクセス
鉄道
パリからの在来線の直通運転はない。
パリ・北駅NordからTGVでリールLille Flandre駅まで1時間、ローカル線に乗り換えて、カレーCalais Villeまで約90分
見どころ
市庁舎
尖塔を持つ赤茶色の建物。
1922年に古代ローマ建築を手本としたルネッサンス様式を再現して建てられた。
市庁舎の隣りには高さ72mの鐘楼が建てられている。
北フランスの別の鐘楼やベルギーの鐘楼群と一緒に世界遺産に2005年に登録されている。
市庁舎に前にはオーギュスト・ロダン作「カレーの市民」の銅像が立つ。
14-15世紀に100年続いた英仏戦争時、カレーの町を守るために6人の人質となった市民を讃えて制作されたといわれている。
ロダンの数ある彫刻の中でも最高傑作の一つといわれる。
市庁舎広場には庭園が整備されている。絶えず庭師が手入れされ、四季折々の花々が植えられている。240種類の草花が彩りを変えている。
レースとモード館
(OVNIから転載)
ルネサンス期の王侯貴族の装束、ウェディングドレス、ランジェリーなどのイメージが先行するレースだが、ここではモードにとどまらない。レースの起源から、産業革命を経てカレーの町がレース生産の一大拠点となるまでのくレース文化史〉を一望できる場となっている。
力レー市のレース館は、かつてレース工場が集まていたサン・ピエール地区にある。 1870年代築、4階建てのレースエ場跡を再活用したミュージアムだ。
1900年頃は80機の織機がここで稼動していた。当時は蒸気機関・照明・暖房が備えられた「共同工場」。レース会社は機械と共に入居し、蒸気機関は他社と共用、光熱費も分担するというものだった。 2000年頃に操業は停止され、市が買い取り、10年前、ミュージアムとしてオープンした。
フランス北部では昔から麻の生産が盛んで、カレーでも麻糸でレースが作られてはいたがこの町がレース産地として名を馳せるのは19世紀のこと。フランスより一足先に産業革命が始まった英国では、1784年には蒸気駆動の織機、1809年にはレース織機、そして今もカレーで使われ続けるリバーレース機が1813年に開発されるなど急速な発展を遂げていた。そんな繁栄を極める英国から技術者がカレーにやって来た。フランスの市場保護などで英国製チュールが売れないため、機械レース産業の中心ノッティンガムから新天地を求めてドーバー海峡を渡ってきたのだ。
彼らは織機と綿糸を英国から密輸し製造を始める。リョンの発明家ジョゼフ=マリー・ジャカールが、複雑な模様が織れるジャカード機をレースに応用できるようにすると、カレーはレース生産の黄金時代を迎えるのだ。
ミュージアムには、16世紀からヴェネチアで作られるようになったニードルレース、フラントりレのボビンレースなど究極の工芸品から、繊細なレースのイメージとは正反対の、産業革命の権化のようなどっしりとしたリバーレース織機が並び、定時にそれを動かしてくれる。1台の織機に1万本を超える糸を設置してレースを仕上げるまでの工程を追えるほか、展示室で地元企業のレース見本を見たり、レースをあしらった秀逸のコスチューム展示室も見られる。