ファレーズ Falaise

概要

カーンCaenから南へ約40km。
1027年、ノルマン公ロベール1世の子ギョームがここで生まれた。
8歳で公位を継いだ彼は後にイングランドを征服し、イングランド王ウィリアム1世となった。

第二次世界大戦おいては、1944年6月6日の連合国軍によるノルマンディー上陸で撤退を余儀なくされたドイツ軍がこの町の周辺で包囲され、1944年8月12日から21日にかけて激戦となった。
ファレーズ・ポケット(ファレーズ包囲戦)Falaise pocketといわれている。
10万人の兵士が脱出したが、15万人が捕虜となり、連合軍の優位が決定づけられた。

見どころ

ファレーズ城 Chateau de Falaise

町を見下ろす丘の上に建っている。
ノルマンディ地方に造られたアングロ・ノルマン様式の最初の石造りの城の一つ。
11世紀に建てられ、13世紀に増改築が加えられた。

サント・メール・エグリーズ Saint Mere Eglise

町の中心の教会が注目するところとなっている。
この珍しい教会を見るためにだけ遠くからこの地を訪れる人も多いという。
教会の屋根の一角に白い布が引っかかっているようにはためいている。
パラシュートで降りてきた兵士のような像が教会の建物に彫刻してある。
「ノルマンディ上陸作戦」の際、実際にこのようにアメリカ兵士が教会の屋根に引っかかってしまったことがあった。
映画「史上最大の作戦」にも印象的に描かれているこのエピソードを再現することで平和を願う心を忘れないようにしている。
近郊に、黒いかまぼこ型の黒い大きな建物が田園の真ん中に建てられている。
第2次世界大戦当時フランスを占領していたドイツ軍が作ったもので、飛行船を格納しておくために造られたものをそのまま保存している。


近郊

サン・マルタン・ド・ミュー礼拝堂

(サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂 Chapelle de St-Vigor-de-Mieux)
ファレーズからより3kmの小さな村のはずれにある、
ノルマンディの農村の風景の中に溶け込んでいる可愛らしい小さな礼拝堂.
一歩中に入ると、四季折々のリンゴの木が描かれていて、リンゴの礼拝堂(サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂)と呼ばれている。
屋根からはノルマンディの柔らかな光がたっぷり差し込んできている。
屋根にはガラス製の瓦が使われている。
ここは、100年以上、廃墟と化していた。それを美しく修復したのは日本人で現代美術化田窪恭治氏である。
もともと15世紀の中にギヨーム・ド・ヴァノンブラによって建てられたものだが、時の流れと共に変わって行った。
今でも幾つかの墓石が残っているが1737年までヴァノンブラ家の人々はその身廊の床に埋葬されていた。
また礼拝堂の周囲には古い小さなお墓がたくさん残っている。
この崩れかけて廃墟になっていて小さな礼拝堂は1983年まで閉鎖されていた。
その当時礼拝堂はすでにぼろぼろで鐘も今にも落ちそうだった。
危ないから立ち入り禁止にするか、壊してしまうかの選択をしなければならなかった時だった。
1987年、田窪恭治氏がこの地を初めて訪れた時強く心引かれ、礼拝堂廃墟になったこの礼拝堂の修復し美術作品として再生させたいと、村人に再建を自分にまかせてもらえるように頼み込んだ。
修復するのに、報酬なんかいらないなんて何か企てているんじゃないかと思って、村人は最初はだれも彼の言うことを信じていなかった。
1年後、田窪氏は妻と3人の子供ともども移住し、何とか塗ら人に了解を得て修復に取りかかった。
こうして1992年から工事はスタートした。
そして、田窪氏が頼み込んでから10年後の1999年リンゴの礼拝堂は完成した。
司祭がいないため、礼拝堂としては使われていないが、村人たちは愛着を込めて、「リンゴの礼拝堂」と呼んでいる。
こうして田窪氏の新しい表現はフランスと日本の協力により実現し、今では日仏文化交流の場となっている。
サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂は、7月、8月の2か月間だけ、毎週土曜日午後3時より見学出来る。
















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