概要 | |
(ノルトライン=ヴェストファーレン州) 人口約32万人 -ケルンの南約30kmに位置し、ケルン・ボン空港からは、南へ約15kmにある。 -ボンは2千年の歴史を持つ楽聖の街。 紀元前13年から9年の文献に「ボンナ」の名称ですでに記されている。 -16世紀には、ケルン大司教座の要塞首都に定められ中規模都市として発展した。 -楽聖ベートーベンは1770年に宮廷テノール歌手の息子としてこの街に生まれ、22才でウイーンに旅立つまでこの街に住んでいたことで有名。 -1949年、静かだった街はドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の暫定首都に定められたことにより、一躍国際色を増した。 -1991年に現在のベルリンに首都の座を譲るまでの42年間は、政治の中心地であった。 首都の移転に伴って、多くの国民が元の静かな町になっていくのかと思っていたが、連邦政府はかつての行政機関のあった施設を中心に国際機関の拠点として整備し、現在は多数の国連事務局が置かれ、多くの企業がここを拠点に活動するなど、頭脳を集積することになった。 かっての議事堂は、現在、国際会議場として利用されている。 今後とも政府の諸施設については重要な役割をになっていく街だ。 |
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アクセス | |
空路 ケルン・ボン空港へドイツ国内とヨーロッパ各地を結んでいる。 空港 ケルン・ボン空港 Koln-Bonn Airport (コード:CGN) ボン市内の北約15km。 高速バス#670で市内へ。30分間隔。 http://www.airport-cgn.de 鉄道 フランクフルト国際空港Frankhurt Flughafen駅からボン中央駅Bonn Hbf.特急ICE直通で1時間50分。 ほぼ1時間間隔。週末は少ない。 ケルンKolnからは20分。 いずれも特急ICEはボンに停車しない便もある。 ケルン中央駅Koln Hbf.〜ケルン・ボン空港(CGN)〜ボン・ベウエル駅Bonn Beuel〜コブレンツKoblenzには普通列車30分もある。1時間間隔。 ボンとケルン間にはトラム(Uバーン)もある。少し余計に時間がかかるが沿線の眺めをを楽しみながら行くのにはお勧め。 市内の観光ポイントによっては便利なエリアもある。 車 周辺には多くの高速道路があり、交通量も少なくない。 フランクフルト方面からは、ライン河畔の一般道路が眺めがいい。 マイン川との合流のビンゲンBingenまで高速道路で来て、そこから河の南サイドの道路がおすすめ。 |
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交通機関 | |
市内にはトラム、地下鉄(Uバーン)、バスがあり、それらの自由に乗り降りできるチケットがある。 乗降する地域によってゾーンが分かれているが、Aゾーンチケットで十分だ。 乗るときに車内の機会でパンチを入れるのを忘れずに。 |
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旧市街地区の見どころ | |
ベートーベンの家 Beethoven-Haus ルートヴィッヒ・ファン・ベートーベンは、この街で1770年12月に誕生した。 22才になるまで生活したのがこの家。 典型的なバロック時代の市民の家で、現在は記念館となっている。 内部には書き物机や、彼が最後に使ったグランドピアノ、買い物の伝票、聴力がおとろえ始めたころに自分の聴覚を必死で取り戻そうとして使った管状の補聴器などが展示される。 隣の家は、ベートーヴェン資料館Beethovenarchivおよび室内楽ホールとなっている。 ベートーベン記念碑 ミュンスター広場Munsterplatzにある。 フランツ・リストが世界中から精力的に寄付を募り、1845年に建てられたという。 聖堂Munster: 古代ローマの墓地跡の上に、5つの尖塔が特徴の、ロマネスクとゴシック様式を融合して建てられた教会堂として建てられたもの。、 フュルステンペルク宮殿Palais Furstenberg 現在は中央郵便局になっている。 旧市庁舎Altes Rathaus 旧市街を代表する三角形に広がるマルクトMarkt広場に建つばら色地に銀色と金色の縁取りされたファサードを持つバロック様式の建物。 かつて東西にドイツが分かれていた時代に、シャルル・ド・ゴールやジョン・F・ケネディなどがここの屋外階段に立って、民衆の歓声に応えたこともある。 選帝侯の居城Kunrfurstliche Residenz 広大な庭園Hofgartenを備えたバロック建築の宮殿(1697〜1725)。 1818年以降はボン大学として使われている。 ポッベルスドルフ宮 Poppelsdorfer Schloss: 中央を芝生が帯状に走る長いマロニエの並木道ポッペルスドルファー・アレーPoppelsdorfer Alleeによって、選帝侯居城とまっすぐに結ばれている。 宮殿の裏側には、大学付属の植物園Botanischer Gartenが広がっている。 アカデミックアート美術館Akademisch Kunstmuseum: かつて解剖学研究所として建てられた建物。 ギリシャ、ローマ時代の像の原物や石膏複製像が展示されている。 計算機博物館Arithmeum: ガラスとスチールの立方体の建物. 初期の機械計算機から最新のマイクロプロセッサーまで、計算機の発展を物語る数々の展示品が飾られている。 旧霊園Alter Friedhof: 著名な芸術家や学者の墓がある。 ローベルト・シューマンとクララ・シューマンRobert und Clara Schumannや ベートーヴェンの母もここに眠る。 -シューマンの家Schumannhaus: エンデニッヒEndenichの郊外にある。 ロベルト・シューマン(1810〜1856年)が最後の2年間を過ごしたサナトリウム。 かつて、シューマンが過ごした部屋に、肖像画や手紙、文書などが展示されている。 |
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旧行政地区の見どころ | |
バート・ゴーデスベルク Bad Godesberg 1949年から1999年までドイツ政治の中枢であった地区で、現在は国際連合をはじめとする国際機関、連邦機関の本拠地として新たな建物が建設されている。 レドゥーテ公園Redoute−Park、ドライチュ噴水Draitschbrunnenなどがある高級住宅地にもなっている。 またこの地区には世界的に評価の高いミュージアムが集まっている博物館通りMuseumsmeileがあり、多くの旅行者が訪れている。 ボン市立美術館Kunstmuseum Bonn: ライン地方出身の20世紀の作品を展示する美術館。 ドイツ博物館・ボンDeutsches Museum Bonn: ミュンへンにあるドイツ博物館の別館る。 第二次世界大戦以降のドイツにおけるテクノロジーの発展に焦点が当てられている。 ライン州立博物館Rheinisches Landesmuseum: 先史時代から現代までの中部および下部ライン地方の歴史、文化、芸術を概観する。 ケーニッヒ博物館Museum Koenig: 自然史博物館 アデナウアー記念碑Adenauer Memorial: アデナウアーが第2次大戦後のドイツの首相として残した、さまざまな功績が刻まれている。 |
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周辺の見どころ | |
聖マリア&聖クレメンス二重教会St Maria & St Klemens Doppelkirche ライン川のケネディ橋Kennedybruckeを越えた対岸のシュワァルツ・ラインドルフ(Schwarz−Rheindorf)の丘の上に建つ。 ジーペンゲピルゲ Siebengebirge: ライン川Rheinの右岸になるボンの対岸の南の方に緩やかな7つの丘が連なる。 ドイツ最古の自然保護区(1923年)、ジーベンゲビルゲSiebengebirgeとなっている。 最も高いのがエールベルクOlberg(461m)だが、多くの観光客が訪れるのはドラッヘンフェルスDrachenfels(321m)である。 バート・ホネフ=レーンドルフ BadHonnef-Rhondorf: ジーペンゲピルゲ Siebengebirge連山の麓のライン河畔の町。 旧西ドイツ初の首相コンラート・アデナウアーが長期暮らしていた住居がある場所で、 現在、アデナウアー首相記念館Gedenkstatte Stiltung Bundeskanzler-Adenauer-Haus となっている。 ボン中央駅から地下鉄(Uバーン)#U66で行くことができる。 レーマーゲン Remagen: ボンから南に23kmのライン河畔の小さな町。 ここにかかるライン川に橋によって有名になったところだ。 1945年3月7日、アメリカ軍はこの橋をほとんど無傷のまま獲得し、それによってライン川右岸に橋頭塗を築くことができた。 そしてその10日後、橋は過重な負荷により倒壊してしまった。 残された塔は今日平和博物館Friedensmuseumとなっており、軍事目的によるその建設(1916〜1917年)から崩壊までの橋の歴史を伝えている。 1945年3月の戦闘の模様は当時のニュース映画で詳細に記録されている。 町の見どころは、 教区教会Pfarrkirche。 その囲い壁にはロマネスク様式の門がある。 新ゴシック様式の巡礼教会が町の北端のアポリナーリス山Apol-linarisbergにある。 ノネンヴェルトNonnenvvenh ライン川に浮かぶ島。メーレムMehlemの少し先にある。 |