概要 | |
(バーテン・ヴュルテンペルク州) 人口:約22万人 -第二次世界大戦で壊滅的破壊を受けたが、急速は再建が行われた。 歴史的地区を復興し、新市街を効率的に機能する都市づくりが行われた。 -落ち着いた大学都市で、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の南西部にあり、ゆるやかな丘陵に囲まれている。 -フライブルクとは「自由の城」の意味で、12世紀初頭、この町を築いたツェーリンゲン家の公爵が市民に文字どおり大幅な自由を与えたことに由来する。 1368年から1798年まで、ウイーンのハプスブルク家の支配下に置かれており、街全体に優雅な雰囲気を感じる。 -マリー・アントワネット王女が、ルイ16世との婚礼のためこの場所からフランスへと旅立ったことでも知られる。 -旧市街の通りにはモザイク模様の石畳が敷き詰められている。水路の蓋にはいろいろな紋章がついている。 通りの脇には、ベッヒレBachle(小さな小川)と呼ばれる、シュヴァルツヴァルトから絶えず流れ出るきれいな水路が街に潤いを与えている。 真夏にはほてった脚を入れて冷やしている旅行者も多い。 地面に視線を向けたついでに、がついたを探してみよう。 -旧市街への車の乗り入れが終日規制されていることで世界的に注目されている都市として知られる。 商品の運搬車など業務用車両だけが裏通りに入ることを認められている。 旧市街地区の外側の環状道路周辺に大規模な駐車場が数か所設けられている。市民は通勤などでそこからトラムで市内へ通勤通学している。 市内中心部にはトランジットモールが設けられ、トラムやバスの乗り換えが円滑にできるように機能している。 -また、レギオカルテというシステムがあり、市内のとらむとバスの全路線を利用できるだけでなく、日曜日には1枚で家族全員が利用できる。当初は「環境定期券」と呼ばれていたもので、このシステムが年々周辺地域にも広がり、利用できる周辺の町や村へと範囲が拡大している。 現在ではドイツ各地に同様なシステムが広がっている。 |
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アクセス | |
鉄道(DB) フランクフルト中央駅Frankhurt am/M Hbf.からバーゼルBasel方面行き特急ICEで約2時間10分。ほぼ2時間間隔。 フランクフルト空港駅Frankhurt am/M flughafenからの直通もバーゼル方面行き特急ICEで約2時間10分。ほぼ2時間間隔。 双方はマンハイムMannheimu Hbf.まで別々の線路を走るので、急ぐ場合にはマンハイム乗り継ぎをすると便利だ。 フライブルクは、南北を結ぶ鉄道の中心地点にある 鉄道の駅は旧市街から西約300mのところに位置する。 ヘレンタール鉄道Hollentalbahn 黒い森地方を走る私鉄で、フライブルク発着、ティティゼーTitisee・ノイシュタット Neustadtで乗継ぐとドナウエッシンゲンDonaueschingen方面へ行くことができる。 |
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交通機関 | |
フライブルクには、レギオカルテRegiocarteという地域のシステムがあり、半径約30km以内の全域のトラム、バスなどの公共の交通機関で利用できる。 レギオの1日券は、1区画用とすべての区画で使えるものがある。 |
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見どころ | |
大聖堂 Munster: キリスト教の大聖堂の中で最も美しいとされている。 ツェーリンゲン公爵の埋葬のために建設が始められたロマネスク様式の教会。 その後、西に向かってゆっくりと工事が進められていったため、ゴシック建築様式の「雄鳥の塔」Hahnenturmeが残されている。 塔の底面は八角形になり、先は116mのとがり屋根になっている。 階段で塔に上ることができる。塔の上からは遠くカイザーシュトウールの景色を眺めることができる。 大聖堂内部には、ステンドグラスの窓stained-glass windowsが万華鏡のように張り巡らされている。 大司教の館 Erzbisschofliches Patais: 1756年に建てられたこの館は、美しい錬鉄製のバルコニーを持つ。 カウフハウス Historisches Kaufhaus(旧商銀): 大聖堂の南側にある、アーケードがついた赤茶色の塗りを施したゴシック建築。 中世の貿易商人たちの集会所。 内部には市の宴会場がある。 正面2階の壁にハブスプルク家の支配時代4人の皇帝像が見える。 ヴェンツインガーハウス Wentzingerhaus: フライブルクの偉大な画家で彫刻家クリスティアン・ヴェンツィンガーが1761年に建てさせたバロック様式の住居。 壮麗なバロック様式の階段吹き抜けが保存されている。 現在、ここは市の歴史博物館Museum fur Stadtgeschichteになり、18世紀までのフライブルクの歴史を紹介している。 市庁舎広場 Rathausplatz: バルコニーには花が溢れ、マロニエの木が繁る魅力的な広場。 1350年頃火薬を発見したといわれるフランシスコ会修道士ベルトルト・シュヴアルツの立像のまわりを木々が取り囲んでいる。 新市庁舎 Neues Rathaus: もともとは16世紀に建てられた左右対称に設計された2つの市民の家で、旧フライブルク大学の中核をなしていたこともある。 1901年、二つの建物の中間に一階がアーケードになっている建物が建設され、両者は結び合わされた。 この複合建物に、市庁舎が移転した。 小さな塔の中には鐘楼があり、正午に鐘が鳴るようになっている。 一角獣の浮彫のあるルネサンス式張り出し窓(アイゼンバーン通りEisenbahnstrasseと市庁舎広場が接する角)は、昔のままの形でよく保存されている。 -裁判桟敷Gerichtslaube: フライブルクで最も古い町役場で13世紀に造られたものである。 マルティン教会 Martinkirche: フランシスコ修道会の大聖堂だった。 第二次世界大戦で激しい破壊を受けたが、托鉢修道会の教会が行う苦行の象徴として修復された。 ハウス・ツム・ヴァルフィッシュHaus zum Walfisch(鯨の館): 後期ゴシック様式の派手な赤茶色の建物で、入口の上に天蓋のようにかかった華美な近代ゴシック様式の張り出し窓は1516年当時の建物。 哲学者、エラスムス・フォン・ロッテルダムが、1529年にバーゼルBaselを追放された後、一時隠れ家として使っていた。 アウクスティノ修道会美術館 Augustinermuseum: かつてのアウクスティノ修道院教会および隣接する一階のホール内に中世の美術品を展示する。 マテイーアス・クリューネヴァルトMatthias Grunewaldが描いた「雪の聖母マリアの奇跡Maria-Schnee-Wunder-Altar」の祭壇扉の絵(1519年)などが有名。 また、中世から現代までのステンドグラスも展示されていて、見学者に人気がある。 Salztrasse 32 シュヴアーベン門 Schwabentor: 壁画が描かれた13世紀の市の塗塁の残り。 このシュヴァーベン門から、ゲヴェルペカナール(生業の水路)Gewerbekanal沿いの島形の地区に下りて行ける。 かつては貧しかった地区で、漁師や皮なめし工が住んでいた。 古い家並が残り、絵画的である。 水路にかかった小さな橋から大聖堂の塔の先端が見える。 小川沿いを西へ進むともう一つの門、マルチイン門Maninstorがある。 シュロスベルク Schlossberg(城山): フライブルグ旧市街に隣接する東側に位置する。 シュヴァーベン門からは歩いて登れる。大聖堂の眺めが素晴らしい。 ロープウェイは旧市街北東寄りの市庭園 Stadtgartenから出ている。 |
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周辺の見どころ | |
ブライザッハ Breisach am Rhein: 人口1万6000人 フライブルクから約25km,ライン川Rheinを挟んでフランスと隣り合う。 火山であるプライザッハ山 Breisachbergの頂上に、ローマ人が初めて要塞を造っって以来、ヨーロッパで最も恐れられた一つの要塞施設となっていた。 1275年にルドルフ・フォン・ハブスブルクの支配下において帝国都市となってから、フランスの統治一族シュタウフェン家とオーストリアの統治一族ハブスブルクの権力闘争に巻き込まれていった。 1793年、フランス革命軍によって町は破壊され、1815年にはバーデン大公国の支配下に入った。 1945年にもまた激しい戦禍を被った。 http://www.breisach.de (アクセス) フライブルクから列車で26分。1時間間隔。 (見どころ) -聖ステファン大聖堂 Munster St.Stephan: 12世紀から15世紀の間に建造、第二次世界大戦で大きな被害を被ったが再建された。 身廊、翼廊、塔はロマネスク様式、内陣はゴシック様式で、祭壇Altar(1526年)には巧みな装飾彫刻がほどこされている。 内部入口西端にある「最後の審判」を描いた一連のフレスコ画はほとんど消えかかっているが,1491年コルマールの名匠マルティン・ショーンガウアーの作である。 大聖堂のテラスから Munsterbergから、シュヴァルツヴァルトの南の峰々、ズントガウSundgauの高地、ヴオージュ山脈のクラン・バロンGrand Ballon、そして近くにはカイザーシュトウールが見晴らせる。 -カイザーシュトゥール Kaisertuhl(皇帝の椅子): プライザッハBrejsachの北東に位置そびえる高さ538mの死火山。 下部斜面では、この地方の温暖で乾燥した気候の恩恵を受け、ぶどうその他の果樹栽培が行われている。 ワイナリーエリアまではブライザッハ〜リーゲルRiege間を走るカイザーシュトウール鉄道Kaiserstuhlbahnを利用するのが便利だ。 -ブルクハイム Burkheim: 山腹に階段状につくられたぶどう栽培の村。 高さの異なる平行な3本の道が、村を横断している。 一番下のマルクト通りMarktstrasseは、紋章で飾られた1604年建造の市庁舎、張り出し窓のある赤い家、美しい木組の家々を残している。 エンデインゲン Endingen: フライブルグの北約20km。 マルクト広場を取り囲んで、マンサード屋根のついた張り出しをもつ、もと市民の家だった18世紀の新市庁舎、16世紀の渦巻装飾の破風のある旧市庁舎、そして段状破風がついた穀物倉庫だった長い建物などが立ち並んでいる。 エッテンハイム Ettenheim: フライブルグの北約33km。オッフェンブルグOffenburgとの中間に位置する。 キルヒベルク(教会の丘)Kirchberg付近がこの町の最も魅力のある地域だ。 この町は1803年までストラスプール司教の所有となっていた。 マリー・アントワネットの「首飾り事件」に巻き込まれたロアン枢機卿として知られるストラスブール領主司教ルイ・ルネ・エドワード・ロアンが、この地で1790〜1803年の間亡命生活を送った末、その波瀾の多い生涯を閉じた。 市庁舎の向かいに、彼が住んだ館がある。 ロアン枢機卿の墓は、教会内地下にある。 その上の、ロアン通りに、扉の上に紋章の付いたアンギアン公爵邸がある。 アンギアン公爵はロアン枢機卿の姪のシャルロットの婚約者であったが、バーデン州の統治権を侵したとして1804年3月14−15日の晩ナポレオンの命令で逮捕され、6日後に、パリ郊外ヴァンセンヌ城の墟で銃殺された。 ザンクト・ベーター St.Peter: 人口2600人 カンデル山Mt.Kandel(1243m)の南側の斜面にある村 ここの見どころは、1727年建造のベネディクト会修道院 Benedictine Abbey。 もともとは1093年、ツェーリンゲン Zahringenのベルトルト公2世が、個人の修道院として造ったもので、一族の埋葬場所にもなっていた。 いくつもの時代にわたって作り上げたもので、支柱には何体ものツェーリンゲン公爵の像が張り付けてある。 http://www.st-peter-schwarzwald.de フライブルクのの中央バスターミナルからバス#7205、#7209#7216番で45〜1時間。 |
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