概要
*インスブルックの東10km
*かつて、イン川流域の岩塩の採取で栄えた町であった。
そのために、中世以来この町はこの国の経済に重要な役割をもっていたため、チロルの領主たちに厚遇された。
1303年、チロル領主はこの町に非常に幅広い自由裁量権を与え、禁欲的なインスブルックの宮廷に比べて、気晴らしと快楽の町とみなした。
*現在は、伝統的な産業のかわりに観光活動に力を注ぐ小都市となっている。
*町は上の町と下の町に分かれている。
見どころの大部分は上の町に集中している。
上の町の3本の鐘楼の手前にハ一ゼック城Burg Haseggと、奇妙な多角形の飾り屋根をもつ有名な金造りの塔Munzenurmが見える。
「上の町」は シュタツトクラーベンStadlgrabenと呼ばれる環状大通りに囲まれている。
15世紀から16世紀にかけて造られた家並が残されている。
*上の町では人の多い土曜日の午前中だけ車の通行が禁止されている。

データ
人口:16000
標高:581m


アクセス
バス
インスブルック中央駅前バスターミナルから20分

見どころ
上の町の広場 Oberer Stadtplatz :
記念建造物に取り囲まれたこの不規則な形の広場から、街路が教本出ている。
正面に数階にわたる張り出し窓のある家々が多く見られる。

ハ一ゼック城 Bulg Hasegg :
もともと川を見張るための砦として14世紀初頭に建てられた。
マキシミリアンが結婚式を挙げたところである。
1567年、チロル領主の造幣工場がここに移された。
有名なハーラー銀貨Haller Silbertalerは19世紀初頭まで全ヨーロッパで通用していたが、これは1530年にはすでにハルで、次いでハ一ゼック城で鋳造、打刻されたものであった。
1975年になって、打刻工場Prageanstaltが再開され、定期的に記念硬貨が造られており、一般にも公開されている。
この城の建物の一部はハル市立博物館Stadtmuseumとなっており、数世紀におよぶこの町の歴史をあらわす所蔵品が展示されている。

ミュンツアー塔 Munzerturm
200段の階段で塔に上ると、町の展望と、北方にはベッテルヴルフBettelwurf(2726m)が望める。

市庁舎 Rathaus :
巨大な屋根組みが目に付く。
壁面は狭間模様になっている。
東の部分は、ルネサンス様式の石の大きなポルタイユがあり、西のケーニヒスハウスKonigshausは、1406年、レオボルト2世が町に贈ったものである。
1451年製の梁のある天井をつけた会議室Ratssaalは美しい。

教区教会 Stadtpfarrkirche :
13世紀末に創建され、14世紀初頭に拡張された。内陣はこの当時のものである。
18世紀、教会の内部は、J.ア一夕ム・フォン・メルク Joseph Adam von Molck作の天井のフレスコ画と、ルーベンスの弟子、クエリーニQuelliniの絵のある主祭壇をもつバロック様式のものになった。
旧市街の町並と同じく教会も、その南側に急傾斜で落ち込んでいる扇状地の上にあったため、北へ向けて拡張せざるを得なかった。
身廊の奇妙な配置に戸惑うかもしれない。

修道院広場 Stiftsplatz :
東側は旧参事会とイエズス会教会の簡素な正面に区切られている.
南側は身分ある女性のための旧修道院となっている。

女子修道院 Damenstift :
フェルディナント2世の姉妹、マグタレーナ大公妃Erzherzogin Magdalena(広場の泉に彫像がある)によって1567年から1569年にかけてに創設された。