霧社

概要
埔里の東23km、海抜1143m、タイヤル族の町。
日本統治時代の1930年10月27日に起こった「霧社事件」でその名を知られる。
埔里から東へ20km余り。中央山脈の高山に囲まれた山里。

1930年10月7日、結婚式の宴会に通りかかった日本人警察官が、招き入れようとしたタイヤル族の若者の手を振り払い殴打した。それを侮辱と感じた村人が集団で警官を暴行したことが事件の伏線となる。
10月27日、運動会が行なわれていた霧社公学校が周辺の村民約1,200人に襲撃され、日本人のみ約140人が殺害された。それに対して日本軍と警察は親日派タイヤル族を動員して鎮圧作戦を展開。
抗日タイヤル族の約700人が死亡(自殺を含む)し、約500人が投降した。
さらに翌年4月25日には投降者が収容されていた施設を親日派タイヤル族が襲撃し、抗日-タイヤル族の生存者は300人ほどになった。
この事件により日本は先住民に対する差別的政策を改め、皇民化教育を推進。
山岳民族を平地へ移住させ、農耕生活への転換が進められた。Qkj


見どころ
碧湖
台湾6大湖の一つ

霧社抗日起義紀念碑:

霧社原住民抗日の像

徳龍宮:
展望台がある